2021-06-01 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号
世界で最初の原子力の深刻な事故は、一九五二年の十二月にカナダのチョークリバー研究所というところで事故がありまして、これは、放出した放射性物質は三百七十兆ベクレル、キュリー単位で言うと一万キュリーという単位ですね。
世界で最初の原子力の深刻な事故は、一九五二年の十二月にカナダのチョークリバー研究所というところで事故がありまして、これは、放出した放射性物質は三百七十兆ベクレル、キュリー単位で言うと一万キュリーという単位ですね。
これは私は数え方が違うかもしれませんが、一九五二年のカナダ・チョークリバーの事故、一九五七年のイギリスにおけるプルトニウム生産炉の事故、一九六一年のアメリカ・アイダホ州の軍事目的実験炉の事故、それから一九七九年のスリーマイル島、そして一九八六年四月のソ連の今回の事故というふうに見てみますと、これは七年に一度こういう事故が発生しておるわけでございます。
○松本参考人 多分に軍事利用の研究をやっている研究所が多うございますので、そういう面の影響もあるかと思いますが、たとえば平和利用に限っているカナダのチョークリバーの研究所などでも、やはりカメラはとらせてもらえない、玄関のところで取り上げられるというようなこともございます。それから、あとのイギリス、フランス、アメリカなどは、これは軍事利用の関係があるので、ということもあると思います。
まず、カナダに参りまして、予定のとおり、チョークリバーの原子力総合研究所を見学いたしたわけでございますが、そこの技術最高顧問でありますドクター・キー氏から非常に熱心に説明をしていただきました。大体われわれ三人はいずれも技術者でございませんので、むずかしい技術の問題は十分わかりませんでしたが、なかなかりっぱな施設だということを拝見してまいったわけでございます。
われわれとしては、よくカナダの例が出されますが、カナダのチョークリバー、オンタリオその他の研究所でやられておる人の数などを見ますと、日本の原子力に従事している人の数、つまり原研だけでなしに、その他メーカー・グループを含めて考えましたならば、原子力に従事している人間の数はそう違うわけではありません。金の面にいたしましても、それほど違っているわけではありません。
自分のアイデアを十年追求して、小型の天然ウラン重水型から始めてそれを大型にし、そしてそれでもって材料試験炉をつくり、そしてもうすでに動力試験炉はチョークリバーの上流につくって、あそこで二万四千キロの実験をやっておる。これでだいじょうぶだという確信を持って今度は三十万キロの実用炉をつくっておる。もう天然ウラン重水型一本でずっと追求してきておる。その間にはおそらく失敗もあったでしょう。
ところがさらに三年たったチョークリバーの会議、あるいはその翌年の国際放射線学会では〇・〇五レントゲンということになっている。従って〇・三レントゲン・パー・ウイークということになっている。ところがこれはいずれも壮年を対象とするものであるというような限定条件もついておるわけです。そういうことから一般人の安全率はその十分の一にすべきだというようなことも、大体常識になっておるようです。
それから、カナダの原子力開発は割合に説明が詳しく聞けたのでありますが、チョークリバーにおきます研究所が、過去においてどういうふうに予算がふえて、経費が年度ごとにふえて参っておるかというような事情を聞けたのであります。大体初年度におきまして三百万ドル程度の金を使っております。それが今までに四千八百万ドルを使っているわけでありますが、大体初年度として三百万ドル見当を使っておる。
それとともに、原子力株式会社の中心地でありますチョークリバーに非常に大型の実験用原子炉を作りまして、それにはたしか四千八百万ドルを投じておりますが、それによりまして、出力二十万キロという、これまでにない非常に大きな実験用原子炉の開発を進めております。
それからカナダに参りまして、チョークリバーの研究所に行って、これまた聞いてみましたら三十一、二才である。その層が今研究のスタッフの中心になっておるわけです。 わが国におきましても二十八から三十二、三ぐらいまでの者が科学のイマジネーションも発達しているし、力のできるころであります。この層の研究助成のためには大いにしてやらなければならない。